空はやけに青かった。 五月の太陽はなかなか横暴だ。 逃げるようにして日陰に戻る。影にさえ入ってしまえば涼しかった。然もありなん。いくら日差しが強いと言えど、まだ五月なんだから。 「で、もう少しわかり易く言えよ。話が掴めない」 道尋は言った。つんけんとした言い方だったが言った本人はべつに機嫌の悪いわけでもなし。 これが常体なのである。 「ああ、そうするよ……」 対する三津屋にはまるで覇気が無い。普段のひょうきんさはどこへいったのか。 あー、と唸ってちらりと道尋を見る。そして言った。 「つまり女の子って言うのはどうしてああ難儀ないきものなんだろうかって話だよ」 午後の屋上でこんな問答をしているその発端はやはり三津屋にあった。 春花と喧嘩したとかいう。そんな相談俺にするな。 「確かに相談するのもどうかと思ったけどさー」 「しかもそんなくだらない事で。俺だって暇じゃねぇんだよ」 暇じゃねぇか、と三津屋は微笑った。まったく、呆れた。 それにしても。 「……なあ、それ以前に、俺がこういう問題に向いていると思うか」 そう問えば奴は苦笑を浮かべる。そして言った。 「うん……、相談っていうか愚痴だな。こんな話できる相手いないし」 道尋は耳を疑った。いま、なんと。 「いないんだよ。こんな、……恥ずかしい」 なんだ、そういうことか。てっきり性格に反して友達のいないさみしい奴なのかと。 (自分のことを棚に上げて) なにか言おうとして、しかしそれは三津屋によって遮られた。 「おまえだったら笑ったりしないんじゃないかと思ったんだ」 どうしたらいいのか判らなくなった。 何をか言わんや。もはや声も出ない。いったい俺に何を見ている。呆れて……いや違う、違うんだ……。 三津屋はへへ、と照れ隠しに笑って話の続きを語り出す。 そんな相談俺にするな。 そう思っているのに俺は何故か彼の言葉を諾々と聞いている。 ずうっと男に生まれたかったと思っていたのに今となってはちっともうれしくなんてない。 当たり前か、そもそもおれと『おらん』はちがう人間なんだから。 そして男であるおれはこう思っているのだ。 ああ、女だったらよかったのになぁ。 死んでしまえ、おれ。 でも、だってもしそうだったなら春花と喧嘩しなくて済んだんだ。 高橋の言う通りくだらない話である。なので詳しくは語らない。恥ずかしいし。 ただ、男と女だというだけで考え方も感じ方もやはり違うのだろうか、と思った。 女の子はいつだってまぶしい。砂糖菓子のようなもの、と、誰かも云っていた。 男なんぞとはできているものからして違うんじゃないだろうか。 (こんなことを言うと世の女性からは非難されるかもしれないが) ともかく男からしたら女というのは訳がわからない。得体が知れない。不可解だ。 自分だって女だったのだから女の子の気持ちは判らないでもないけれど、それでもやはり、わからない。 女心は退化してしまった。 『おらん』という彼女はおれにとってはとても遠い。 ふと、思った。彼は、高橋はどうなのだろうか。 性別の別があるからか『おらん』と『三津屋隆』はまるで別の存在だ。おれにとっての彼女は『よく知っている赤の他人』である。それでもときどきは自分の事のように思うときもあるけれど。 高橋にとってはどうなのだろうか。彼の中で『樋渡千一』とはどういう存在なのだろうか―─。 |
三津屋の愚痴が一段落つくと、道尋は黙り込んで、そしてやや躊躇いがちに切り出した。 「……おまえさぁ、春花春花っていうけどさ」 「なに?」 「…………。べつに」 顔を伏せて押し黙る。三津屋は眉をひそめた。そして彼の顔を覗きこんだ。 「おい、何だよ。言い掛けなんてきもちわるい」 真っ直ぐな視線。道尋は目を逸らした。その状態が数十秒。数十秒してやっと口を開いた。 「お前だって……、わかってるだろ。初井は、あいつは、……『慶三郎』なんだぜ」 たっぷり三秒。三津屋の目はみるみる丸くなり、一等大きくなったところで止まった。 そして言った。 「……ちょっと待って。『慶三郎』って、だれ」 ずごっ。 哀れなことに道尋は足を滑らした弾みに頭を壁(コンクリート)に擦り付ける形となった。涙目である。 「……大層痛そうですが、生きてますか」 「誰が死ぬかあぁぁっ」 なんだかまずいことしちゃったなあ、と後悔しつつ、三津屋は尋ねた。 「誰だよ、慶三郎って。まさかおれらの関係者なの」 痛そうに頭をさすって道尋はぼそぼそと喋り出した。 「悪ぃ。よく考えりゃお前は知らないんだった。俺のダチ、戦友ってやつだ。加賀の家を出た後に後知り合った」 「春花はそのこと……」 「覚えてない、と思う。少なくともそういう類の話は聞いたことがない」 「そうだな、おれも聞いてない」 なんとなくほっとして二人息をついた。それなら良かった、と三津屋が微笑った。暗い笑みだった。 「だっておれが本当に『慶三郎』ってやつを知らないかなんて判らないじゃないか」 だって。 「おれが切り伏せた奴の中にそいつは居たかもしれない」 ひやりとする、自分達は敵だった。お互いをどう思っていたにしても。 どう思う、と三津屋は問う。俺は答えた。搾り出すように。それはないだろう。少なくとも慶三郎の仇はおらんじゃない。何故か確信があった。 ああよかった、と彼は言った。今度こそ安心したようだった。 俺達は、敵だった。なのに今は女の子の理不尽さについて語り合い、慰め合って。 これではまるで味方同士じゃないか。ちっとも可笑しくないのに笑えてきた。 「どうしたよ、いきなり笑い出して」 そう言う三津屋も笑っているではないか。 「なあ、俺達は敵同士だったのに、今じゃ味方のようじゃないか。今度はいったいどうなるのかな」 すると三津屋はちょっと空を見上げて、そして破顔した。 「そりゃああれだよ、決まってるさ」 そういうと俺の背中を小突いて言った。 「敵だ敵、決まってる」 だいたい、お前味方じゃないだろ、ライバルじゃん、と彼は言った。俺はなにかを言ったと思う。夕焼け時でもないのに二人して顔が真っ赤だった。 思い出したくないこと、笑えないこと。俺達の間には冷たいものが横たわっている。顔を合わせる度にそれらはだんだん溶けていく。止めることは出来そうにない。 出会ってしまったからには遣り過ごしていくしかないんだ。 だから、どうか。お願いだ。 ああ春花、きみはなにも知らないでいて。 五月晴れ。ひとの心も知らないで、空はやけに青かった。 |