「なんだ千一、珍しい。おまえが朝稽古なんて」
 言った相手を振り返り、千一は怒鳴った。
「だ れ の せ い だ と 思ってやがる!」
 怒鳴られたほうは何を言われたか判らないという顔をし、一寸おいて目を丸くした。
「え、まさか昨夜のあれ?」
 昨夜は久々の宴だった。いい感じに酒が回って皆楽しそうだった。男だらけの酒盛りだ、こうなれば馬鹿をやりだすやつなどいくらでもいるわけで。彼とて例外ではなかった。
「なぁ千一ぃ」
「んだよ酔っ払い。ひっついてくんな!」
 千一はあまり酒を呑まない。強くない、というのもあるが、どちらかと言えば酒に呑まれた姿を人に見られたくないのだろう。
「いーじゃんかぁ。それよりオマエさあ、なんで朝来なかったん?」
「………はぁ?」
 何かあったか。千一は眉をひそめた。
「あーやっぱり忘れてる。朝打ち合いやってくれるってえ」
 ああそんなことも言ったかなと千一は思った。ちっとも覚えていないが。
 手酌する彼の目は据わっていた。
「いっつも千一付き合ってくれないし、やっと是って言ったと思ったら!来ないし。いないし。俺だって強い奴とやりたいの。ちょっと申し訳ないけど他の奴らじゃ張り合いが無いの。なのにオマエは嫌いなんだろ。稽古とか嫌なんだろ。ていうかおれのことキライなんだろぉぉぉ!!」
「そうだぞ樋渡キライなんだあっはっは」
 いつのまにか周りに人が集まっていた。しかも全員べろべろ。ここぞとばかりに囃し立てる。
 それらに乗せられだいたいオマエは……と、千一に絡みついたままぐちぐちと、それでも酒をあおり続ける男にいいかげん千一もきれた。膳を薙ぎ倒して立ち上がり怒鳴った。
「すりゃいいんだろすりゃあ!朝稽古でも寒中水泳でもなんでもやってやらあ!」
「ほーう。本気かぁ?」
「男に二言はねえ!」
 酔っ払いの繰り言に乗るなんて千一も少しは酔っていたんだろう。酒瓶を引っ掴んでどぼどぼと千一の茶碗に注いだ。
「よっしゃよく言った!今日はガンガン呑むぞっ!」
「俺はいらん。勝手にやってろっ」
 あとは例の如くに潰れて、千一は目が覚めたときには居なかった。適当に抜け出したのだろう。
「だからって……酒の席での口約束なんてよく守る気になるなあ」
 呆れるというよりいっそ感心した。
「うっせえ。俺は有言実行の人なんだよっ」
 言い捨てて千一は素振りを始める。
「じゃ寒中水泳もやるのか」
「そっ、れは……、だいたいお前あんなだったくせになんで覚えてんだよ」
 そう言われれば苦笑するほか無い。
「まあそれは特技ってやつで……」
 そういって自分も木刀を手に取った。気付いた千一は怪訝な顔をする。
「おれもつきあうよ。あさげいこ」
「はぁ?手前んなこと言ってなかっただろうが」
「あいにくおれは不言実行の人なんでね。さて久方ぶりにお手合わせ願いましょうか樋渡殿」
「はん。どっからでもかかってこいや慶三郎。俺は、負 け ね え ぜっ」
 一閃、二人の剣客はおのが得物を振りかぶった。



「あーっ、ミチヒロくん発見!」
 しばらくの静寂を破り屋上のドアは開かれた。春花だった。
 道尋は顔を顰め、それを迎えた。駆け寄ってくるなり春花は一息に詰め寄った。
「もう五時だよボーリング一緒に行くって言ってたじゃん」
 そう言われて、まるで今思い出したかのようにして、遠くを見た。
「あーあれ俺やっぱりパス」
「もうっ!一度言ったことくらい守りなさいよ。そんな事言ってると友達できないよ!」
「悪いけど俺は有言不実行の人なんで」
「ゆ……」
 絶句された。怒られるかな、と思った。もしくは呆れ果てたか。
 春花をここで突き放す。そう決めていた。これ以上彼女と関わるのは得策ではない。もし春花が『思い出し』たりなんてしたらと思うとぞっとする。前世の記憶なんて手に入れたっていいことなんて一つも無いんだ。
 あとは何か適当なことを言って、そうすれば終わり。嫌われる。
 なのにすこし、ためらいがあった。
 多分思っていたよりは彼女に惹かれていたんだな。
 そうっと振り返る。夕日がまぶしくて瞳が潤んだ。春花は変わらずそこに居た。
 ああ、もう少しで彼女の顔が見える。愉快な顔はしていまい。それを目にするのは嫌だったけれど、少しだけ目線を上げて。

 おそらく俺達は縁を交えては、いけなかった。

 ゆるゆると夕日は沈んでいく。
 躊躇を振り切って春花を見据えた。愉快な顔は、していまい。
 けれど。
 けれど、
 けれど春花は、微笑っていた。
「変なの。嘘吐きは好きじゃないけどさ」
 と言ってコンビニのビニール袋を突き出した。
「食べよう」
 正直道尋は戸惑った。なんで。黄昏時は嫌いだ。なにを考えているのかまるでわからない。
「行かないの……ボーリング」
 そう言うと彼女はあは、と笑い、
「実は私もああいうの苦手なんだ。あ、甘いのとか嫌かな?人のこと考えないで買ってきちゃった」
「いや、……好きだよ」
 よかった、と春花はまた笑った。俺も笑い返した。ちゃんと笑えていたか心許無いけれど。
 黄昏時は嫌いだけど、夕映えの君はうつくしかった。
「そういえばどうして有言不実行なの。有言実行ならわかるけど」
 あれ、不言実行だったっけ、と彼女は首を傾げたけれど、道尋は苦笑して答えなかった。
 だって、あんな面倒なのはもう御免だからさ。
『春花』に言っても仕方が無いから、
 夕焼けのむこう、代わりに投げ返した。









言ってた事とやってる事が違う










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