生きてりゃどうしたらいいかわからなくなることなんて山ほどある。
 親が死んだとき。大事な人の死んだとき。出ていってくれと吉正様に頭を下げられたとき。木原が太田に従属したとき。おらんの縁組を知ったとき。加賀と太田の同盟が破棄されたとき。加賀とのいくさが始まったとき。
 なんどもなんども打ちのめされた。
 それでも俺は俺なりに進む道を選んできた。でも、いまは、
 いまは、

「せんいち……?」
 どこかで火の手が上がっている。舞い散る火の粉、夜を煌煌と照らす。火影がまばゆい。赤いのは、血。
 未明の奇襲だった。山間の陣、千一たちの隊は太田の援軍としてそこに居た。陣の後方は山に面していた。太田の、味方の領だ。誰も考えてはいなかった、まさか背後から攻められるなんて。
 押し入ってきた男たちを斬り捨てる。闇で顔などわからない。
「この短時間で山越えか!? 起きろ敵襲だ! 武器を取れっ!!」
 山越え。自らの発言が不安を煽った。山越えは加賀の十八番だ。かつての同輩がいまここに居るかもしれない。
「どうかそればっかりは堪忍してくださ、いっ」
 言いながら刀を振り回す。返り血で手が滑る。すっぽ抜けた刀が柱に食いこんだ。「畜生!」とっさに足元の骸から刃物を分捕った。ぎりぎりで殺気をかわす。代わりに脛を打ちつけた。痛みと衝撃でかがみこみそうになる。暗過ぎてなにがなんだか。
(いっそ火ィでも付けてやるか)
 確か外に木材があったはずだ。敵の姿も見えないのでは話にならない。千一は駆け出した。向かって来た相手は全部斬った。さすがに単衣一枚で走る千一を敵と見間違える仲間はいない。とにかく外へ。強く踏み出した瞬間きーん、と鋭い痛みが脚に走った。体勢を崩す。脛が。畜生畜生畜生! こんな所で死んでたまるか!!
 転びそうになった所からなんとか持ち直し、足を前に。角を回って広縁に躍り出す。目をこらして積まれた木材と篝火の所在を確認する。外に降りようとしたそのとき、
「……っ」
 闇の中から殺気が迫る。
 とっさに伏せて凶刃から逃れた。水平に薙ぎ払われた刀が上段から袈裟へ。上からの斬撃を膝立ちで防いだ。
 キイイイイィィン――――。
 高い音が響いた。力任せに振り払う。敵の押しは予想より弱かった。月明かりでうっすらとわかるのは簡素な具足と長い髪。相手はたたらを踏んだが、素早く体勢を立て直し得物を振りかぶった。千一は腰を落としたまま迎え撃つ。双方の間が詰まったその瞬間、
 暗闇に炎が巻き上がった。
 なるほど千一の発想なんて誰でも考えることだ。油でもまいたのか、轟々と勢いよく火柱が上がる。
 あっという間に明度が上がり、相手の顔もくっきりと。千一は刀を取り落とした。高く結い上げた髪、きりりとした眉、大きな瞳。返り血化粧もあざやかに。
 そこに立っていたのはおらんだった。
「せんいち……?」
 彼女の瞳が揺れた。
「っ、どうしてここに居るのよ! 木原の兵はいないはずじゃない!」
「……ちょっとした増援で、昨日合流した」
「聞いてないわよ!!」
『聞いていない』とは。配置も何も筒抜けではないか。間諜でもいるのか。このいくさ負けかもしれない。千一は自嘲の笑みを浮かべた。
「俺達みたいな下っ端の動きまで把握されてはかなわないよ。それよりお前がこんなところに居る方が不思議だ……」
 千一はやけに冷静だった。自分でもびっくりする。あまりに現実味が無いからだろうか。おらんがなんの隔ても無く目の前に居るなんて。
 おらんは刀を下ろした。
「千一、早く逃げなさい」
「なんだと」
「ここはもう私達が制圧したも同じ。愚図愚図してるとたたっ斬られるよ!」
「逃げるだとっ、ふざけるな」
「ばかっ!!」
 おらんは床を踏み鳴らした。顔を歪める。
「死んだらなんにもならないじゃない……! とっとと行ってよ、あなたは死なないでよ……」
「おらん」
「どうしても行かないって言うなら私が三途の川まで送ってやる!」
 そう言って大きく刀を振り上げた。
「だからお願い千一……」
 おらんの表情は影になってわからなかった。
 俺は、どうするべきだ。仲間を捨てて逃げる? 千一のような流れ者を受け入れてくれた彼ら。特に慶三郎は孤立しがちな千一を決して放っておかなかった。時には鬱陶しかった、でも本当は嬉しかった。彼らを裏切り、独り生き延びる? 冗談じゃない。でも、

 でもこいつの涙には昔からどうしたって敵わない。

「なんとか言いなさい……、でないと本当に」
 千一は微笑った。心は凪の穏やかさ。
「……必ずおらんに会いに行く。それまで待ってろ」
 おらんは口をぽかんと開けた。目をぱちぱちさせてやっと強張った口元をほころばす。この血と炎の中で花のように笑う。千一がずっと、求めていた笑顔。
「よかっ」
 どすっ。
「たぁ…………?」
 おらんは不思議そうに胸元を見る。鈍くかがやく凶器が胸当ての隙間から突き出していた。
「あ……」
 刃が炎に照らされてぬらぬら光る。現れたときと同様に勢いよく引き抜かれて、深紅の花が咲き乱れた。
 踊るようにゆっくりとひとつ回って仰向けに倒れる。千一の膝元に。おらんは一粒涙を落として、そしてその目から急速に光が失われていった。
「千一、無事かっ!?」
 おらんから視線を引き剥がす。血塗れた刃。凶器を握っていたのは慶三郎だった。
「けいざぶろう……?」
「一旦退くぞ。立てるか?」
 千一に手を伸べる。彼は顔をしかめた。
「女だったのか。……さあ行くぞ、おい……?」
 千一は自らを眺めた。びっちゃりと濡れた単衣。顔をぬぐう。真っ赤。まだあたたかい、おらんの血。
 おらんの、血。

 ――死んだらなんにもならないじゃない――

「あ、ああああぁぁああああああぁぉおおあああああぁっ!!」
「せんいち……っ!」
 千一の振り上げた刃はあやまたず慶三郎の喉をかっ切った。
 吹き出す鮮血。視界が再び真っ赤に染まった。
「せん」
 血泡がごぼりと嫌な音を立ててこぼれ出した。
 どうして、と唇だけが動く。伸ばされた手は千一まで届かず、落ちた。千一は刀を握ったままへたり込んだ。
「お前も、らんも『どうして』って俺に聞くのか」
 どうして、なんて、こっちが聞きたい。千一は顔を覆った。
「なんてことを……」
 見開かれたままの慶三郎の瞳をそっと閉じた。慶三郎。頭の中がぐるぐる回って何も言葉にならない。これ以上は触れることすらはばかられた。
「おらん」
 同じようにおらんの瞳も閉じる。やっと会えたのに、さっき笑ったのに。笑顔が一番似合う娘は血まみれで泣いて死んでいった……。
 すでに屋内に人の気配は無かった。あるのは物言わぬ骸ばかり。炎が屋根を柱を舐める。火が移るのも時間の問題。みんな逃げられただろうか。
「逃げる……?」
 まさか。仲間を捨ててでも生きると思ったのは誰のためか。誓った相手はもういない。
 お前のためならどんな謗りを受けるのもかまいやしなかったのに。
『必ずおらんに会いに行く。それまで待ってろ』
 握ったままの刀を検分した。まだ使える。
「慶三郎、ごめんな。謝っても済まないってわかってるけど、ごめんついでにおらんのこと見てておくれよ。おらんもそいついい奴だから心配するな。普段は女と見たら手も上げないんだ。二人とも嫌かもしれないが、待っててくれ。いま、行くから」
 炎が渦巻いて天まで昇っていくようだった。つられて夜空を見上げた。溜息が漏れた。
 夜の黒、月の白、炎の橙。華麗な色彩がせめぎあう。ちかちかと火の粉が散る。熱を帯びてあかるく舞う。なんと絢爛豪華な夜か。まるで夢のよう。
「夢なら」
 夢ならよかったのに。これは悪い夢で、目が覚めたらそこは広くはないが慣れ親しんだ部屋。おらんと口喧嘩して、楓がそれに油を注ぐ。正成さまは――父と慕った人は、笑うばかりで、吉正さまは溜息をつき、仕方無さそうに笑っている。そんな一日がはじまるのなら――。
 ああ、それでは慶三郎に申し訳無いか。
 それでも、夢だったなら。
 刃をぐっと首に押し当てた。
「夜の岸に――」




 見上げれば輝く星とまるい月。あの夜もこんなだった。
 道尋は土の上に横たわっていた。夜気の冷たさに体温がじわじわと奪われていくのだが起きあがる気になれない。三津屋は道尋を起こすのを諦めて、ぎしぎしいう縁側に腰掛けている。
「まさかそんなオチだったとはなあ……」
 三津屋はうなった。
「後味悪ィの。B級映画か」
 A級映画にだって後味悪いのはあるさ、と道尋はうそぶいた。
「ところで本当に何も覚えてないのか」
「ああ、おれはちっとも思い出せないよ」
 胸を張らんばかりに堂々と。道尋からすればうらやましいくらいだ。
「俺はどうすればいい。思い出してしまった俺は」
 ここで何を得たというのだろう。曖昧な悪夢を色彩までもはっきりと蘇らせてしまっただけだ。道尋は拳をきつく握り締めた。
「慶三郎は好い男だった。流れ者の俺を受け入れてくれた。人がよくて、底抜けに明るくて! 俺のことを仲間といった! 親友と言った! なのに、おれが、その慶三郎を殺したんだ!」
 右手を地面に叩きつけた。
「どうやって顔向けすればいい。春花を、俺は、おまえも」
 どろどろに汚れた手で道尋は顔を覆った。涙は出ない。感情が追い付かない。ただくるしい。
「俺は……」
 三津屋が口を開いた。
「違うだろ」
 道尋はぽかんと口をあけた。
「違うだろ。謝りてぇのも顔向けできない気持ちもわかるけど、それはおまえのもんじゃないだろ。それは、『千一』のものだろう」
「なに言って」
 構わず三津屋は畳み掛けた。
「おまえが何をした。誰かに謝らなきゃならないようなことしたか。そのヒネた性格と親に黙って外泊してることぐらいじゃねえか」
 縁側から立ち上がって、三津屋は道尋の脇にしゃがみ込んだ。頬の泥を指先で払う。目が合った。口調に合わないくらいに真剣な瞳をしていた。
「おまえだってわかってるんだろ。『今』と『前世』は別物だ、混合しちゃならない。この十五年間で痛いほど思い知らされてきた」
 両手を道尋の頭の元に叩きつけた。
「わかってるだろ! 前世なんて関係ない! 死んだのも殺したのも赤の他人だおれたちじゃない!!」
 三津屋は声をうわずらせた。息を整えてから再び口を開いた。
「おれは『おらん』じゃないよ。春花は『慶三郎』とやらじゃない。おまえもだよ。おまえは『樋渡千一』じゃない。高橋道尋。それだけだよ」
 だから、と彼は言紡ぐ。
「そんな嫌なことはさっさと忘れてしまえ」
 ほとんど託宣のようだった。
 道尋は目をつむった。何も言えなかった。何か言ったら嗚咽になってしまいそうだった。
 ほら、と三津屋は手を伸べる。反応せずにいたら泥まみれの右手を掴み取られた。
「帰るぞ。……おまえの夢だってそのうちどうにかなるさ。明けない夜が無いのと同じで覚めない夢はないんだぜ」


 駅前の24時間営業の漫画喫茶で始発を待った。すぐに横になった三津屋を眺めながらまんじりともせず夜を過ごした。
 夜が明けたら、俺は列車に揺られている。どんな夜でも必ず明けると隣りの男がいうから、きっと列車に揺られている。悪夢だって、それが夢である以上いつかは覚める。夜毎に立ち現れるであろう鮮烈な情景ですら、いつか消えて無くなる日が来るのだろう。あるいは慣れる方が先かもしれない。
 でも。
 それでも胸の痛みは消えないのだろう。夢見るたびに苦しむのだろう。他人の罪に苦しむなんてあほらしいとはわかっているけどさ。
 なんとなく膝を抱えた。これではいじけてるみたいだ。苦笑して、寝息をたてる男の頭をつま先で小突いた。
「……そんな能天気な顔して寝やがって。うらやましいぞ、ど畜生」
 今度は悔いを残さずにこんな顔して死ねたらいいなと道尋は思った。


 さて始発の時刻になって店を出て駅へと歩く。まだ辺りは暗く街灯がついている。
 道尋は三津屋の方を向いた。
「今回得たことが一つだけあった」
「へー、何。おれの器のでかさに恐れ入ったか」
 道尋はにっこりと笑った。
「『言いたいことは躊躇せずにさっさと言おう』ということですよ隆君」
「…………おい、ちょっと、それはどういう」
 道尋は伸びをした。
「さーて待ってろよ春花ァ」
 隆が目を見張った瞬間に道尋はたったかと駆け出した。隆が叫ぶ。
「って待て待て待て許さねえぞ俺は、って聞いてんのー!!」

 耳をふさいで駅の階段に足を掛けた。くるりとあの場所を振り返る。山際は白み始めていた。
























夜の岸に浮きては消ゆるうたかたの夢ならましかば覚めましものを



樋渡千一、辞世の歌である




















あの時、最後に何を








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