寄ってらっしゃい、見てらっしゃい


「こんのクソじじいがぁっ! わらわも我慢の限界じゃこんなとこ出て行ってやる!」
「望むところじゃクソ弟子がぁっ! とっとと出てけ帰ってくんな!」
 罵声の終わる前に少女は空に舞い上がった。どこへ行こう、どこまでだって! 小さな雲に飛び乗って、少女は駆け出す。遠く遠く遠く山も川も戦場も海も飛び越えて。


「ごめんね。夏休みの間だけだから、おばあちゃんちでいい子にしててね」
 少年は頷いた。ごめんね、と母は繰り返し呟いた。
帰省が少し早くなるだけ。けれどその様子はいつもとはずいぶん異なっていた。少年は母のつむじをじっと見る。
 ――そんなに謝らなくていいのに。母さんは悪くないよ、何も悪くない。だからそんなに泣かないで。


 繚乱と咲き乱れる藤の花、その下に一人の男が伏していた。冴え冴えとした月光に照らされた顔は青白く、喉からはひゅうひゅうと細い息。しかしその両の眼だけは爛々と輝いていた。
「許すものか……」男は眼前に立つもう一人の男を睨みつけた。息をする度ごぼりごぼりと黒い血が口から流れでる。ぬらぬらと光る藤の臥所に手をついて男は血と共に吐き捨てた。
「殺してやる! 貴様が死んだら生まれた子供も、その子が死んだらまたその子供を、貴様の子孫末代まですべてすべて呪い殺してくれようぞ!」


花も嵐も踏み越えて


「わたしが、ですか」
 少女は首かしげ、それが無礼にあたることに気付き、慌てて居住まいを正した。壮年の男は苦笑する。
「幹彦が倒れたのは知ってるだろう。この夏は中々忙しくてな、穴埋めできる人間がいないんだ。どうだ、お前やってみないか。若い衆じゃお前が一番見所がある」
 そう言われ、少女は複雑な表情を浮かべた。喜色も見えないではないが。
「どうした、嫌か」「いえそんなことは! ただ……」
 しばしの逡巡ののち、答えた。「補習が終わったら、参ります」


「あーあ、もったいない」
肩から流れ出す血液を見ながら男は呟いた。ほんと嫌になっちゃう。目の前には四つの影。手には各々得物を持っている。こっちは丸腰なのに、ね。
「だいたいしつこいんだよてめーらは」
 せっかくうまく隠れたと思ったのに、ものの三十分で見つけられてしまった。かくれんぼは得意なつもりだったのに。がっかりだ。この分じゃどこに逃げても同じかしらん。
「残念残念、どうしようか。なあてめーらどう思う」
 答えは返らない。ああ残念。非常につまらない。
「ま、どっちにしろ日が出るまでが勝負だなァ!」
 影たちが跳んだ。やなことばっかり。どうせなら行ったことないとこ行きたいなあ。どこか遠い所まで。東とか東とか東とか。


「じいちゃんち? いいよ」
 少年はあっさりと答えた。母は拍子抜けしたようだった。
「え、ほんとに?」「こんなとこで駄々こねてもしょうがないでしょ」
 少年は体操着をかき集めながら言った。
「ぼくだって、毎日夕ご飯遅いのしんどいし、疲れてるとこ作ってもらうのは悪いし、だからって手伝いもできないしさ」
 母は首を振った。
「そんなこと気にしなくったっていいのに……。ごめんねぇ、まさかこんなに忙しくなるなんて」
 少年はランドセルを背負って笑った。
「繁盛するのはいいことじゃん。んじゃ、行ってきます」


たのしいなつやすみの、




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