魔法使いの七言


 ――――変な夢を見た。

「わたしは友達と一緒に公衆浴場の脱衣所に居るの。わたしはそこで以前何か良くない事をしたので……、ああもちろんわたしは変な事なんてしたことも無いけど、夢の中ではそういうことに。それでドキドキしながら友達に、『ねえ、わたしについて何か噂無いかな?』って訊いたら、『そういえばあなたが不良してて、ハゲのおっさん眺め回してるって聞いたけど』って。わたしは笑って『それはハゲのおっさんは眺め回すけれどもー』と浴場の扉を開けたわ。そしたら、そしたらですよ、そこは大きなカフェーでわたしたちは四人掛けのテーブルに三人で座っているのです。はっとして前を見ると、なんとそこには! 見事なハゲのおっさんが! わたしはそのおっさんにお説教喰らって、こう、『君が何を思っていようが勝手だがそんな話を当事者の前でしてはならない』とかなんとか懇々と諭されて。まあそんな感じなんですけれど、どう思います、セブンワーズ? セブンワーズ?」
 セブンワーズはこめかみを押さえて言った。
「えー……、何ですか、君は僕に夢解きをして欲しいのですか」
「うん」
 わたしは頷いた。考え込むように眉根を寄せた後、セブンワーズは荷物を足元に置いて、手摺に寄りかかった。柔らかい風が彼の髪を揺らす。冬の割には風が弱い。彼はフッと苦笑した。
「なんだ、僕はてっきりまた立替えを頼まれるのではないかと」
「なっ、にを失礼ですよ!」
 するとセブンワーズは片眉を跳ね上げた。
「だって君僕のこと財布だと思っているフシがあるじゃあないですか」
「うっ……」
 わたしは言い返せない。情けないことにそれは本当の事なのである。
「ああ君に初めて会ったときの事を思い出しますねぇ。僕が広場通り入って直ぐ右曲がって五軒の食堂でお勘定しようとしてたらうーうー呻く声がして何かと思って振り向いたら若い娘さんが泣いているではありませんか。僕がなけなしの親切心を発揮してどうかしたのかと尋ねると『お金が無くて何にも食べれないー』ってそれでまたまた親切心を発揮して奢ってあげるから好きなものをお食べと言うと、食べる食べる心配になって胃薬まで差し上げちゃいましたっけ」
「ほっ、本当の事だけど何も一息で言わなくてもっ!」
「それからも度々飯屋で見かけて、しかもいつもお金が無さそうだから世話焼いてあげてたら、いつの間にか僕の名前でツケるようになって」
「あなたが『ツケていい』って言ったんじゃないの!」
「ハッ、社交辞令と言う言葉も知らないのですか? 風見谷の学生がこれじゃあこの国はどうなることやら」
「ああアナタねぇっ!」
 わたしの叫びに耳を塞いでセブンワーズはそっぽを向いた。ああむかつく。この男何年生きてるのかは知らないが人を何だと思っているのか。しかしわたしだって馬鹿じゃない。馬鹿じゃないからわかってる。彼が言っているのは全て本当。非があるのは全て自分なのだ。わたしが黙ったのを見ると、セブンワーズはつまらなさそうに言った。
「ま、別に良いんですけどね。金なんて腐るほど有りますから、べっつに」
「お金は腐りませんよ」
「そうですね」
 普通は、と彼は付け加えた。
「あと! わたしとうちの学生全体をひとくくりにしない! わたしは例外です」
「……自分で言いますか?」
 呆れた、という顔をしてセブンワーズはつぶやいた。
「仮にも学術院生の端くれですから、自己認識くらいは」
 わたしは胸を張った。
 この街の名を風見谷という。王立学術院は風見谷に二百年前に設立された国一番の名門校。風見谷の街は学院と共に発展した一種の“門前町”である。
「君ね……。……ま、僕も言い過ぎました。謝りましょう。精々僕の貯金を食い潰して、勉学に勤しんでくださいな」
「それ謝ってるように聞こえないんですけど」
「そうですか? それは失礼」
 セブンワーズは手摺から身を乗り出した。眼下にはレンガの街が広がっている。ここは風見谷の端の風読み台。わたしの拠点であり、カップルの憩いの場だ――冬以外は。
「今日は風が弱いですねぇ。天気悪くなったりしますか? 見習いさん」
 わたしはじっと空を見つめた。
「ならないですよ。明日は晴れます。ただ谷の外、……北かな、では雨か雪が降る可能性も。……多分、ですが。計器ちゃんと見ないと」
「えぇ、そうなの?」
 セブンワーズは顔をしかめた。
「あのー、わたしの予報なんてあんまり当てにしないでくださいよ」
「そうは言っても、風読みはもう三年やってるんでしょう? 参考くらいにはー」
 そう言って彼は北の空を見遣った。
「北だっけ? リューシャー辺りは」
「そこらは三日前から雨続きですって。今日も明日もきっとそう」
 これはきっと本当。セブンワーズは頭を掻いた。
「参ったなあ、……迂回しようかしら」
 そうぶつぶつと呟いた。わたしは会った時から気になっていた事を訊いてみた。
「あの、どっか旅行でも行くんですか」
「へ?」
 いつもと違って、セブンワーズは大きな鞄を持っていた。襟の高い黒いコートに黒の手袋、暖かそうな耳当ての付いた帽子も鞄の上に置いてあった。そして極めつけは、箒だった。箒! わたしの身長ほどもある大きなやつ。
 彼は箒を手に取って言った。
「ああ、旅行っていうか、会合……みたいなものですね。三ヶ月くらい行ってきます」
「……さ」
 三ヶ月。
「……長いですね」
 彼は肩をすくめた。
「三月ずっと用があるわけではないんですが、遠いんでね、行き来するのも面倒ですから」
「そですか」
 ふふっ、とセブンワーズは笑った。
「なんだ、寂しいんですか?」
「違います」
 わたしは間髪入れずに答えた。こんな訳分かんない人が居なくなったところで、さみしいわけが、あるもんか。
 それにしても、北、か。
 ここより北にはルディストレイン、リューシャー塩湖、国境を越えたら、商業の都ストーンラット、そして、ヴェンディア。古い古い、魔法の学校が在る所。
 少々迷ってから口を開いた。
「セブンワーズ、あなたはヴェンディアに呪いを解きに行くんですか?」
 彼が目を見開いたのが、判った。
「……君、知ってたんですか」
 狼狽した様子で言った。彼にしては珍しい、表情。いい気分だ。
「前にね、古い文献で見たんです。七十年前にガルドル地方で起きた大干ばつにおいて、雨乞いに成功した魔法使いの話でした。魔法使いの名は、セブンワーズ」
 彼は浅く息をついた。怪訝な目をしてわたしを見る。
「偶然に同名だったとは思わなかったのですか」
 その言葉には頷いた。
「思いました。あたりまえでしょ、七十年まえですよ。でも、文献にはその魔法使いの詳しい記述がありました。金に近い茶の髪に、淡緑の瞳。ここまでなら人違いだとも考えられます。でも、あなたのその」
 わたしは彼の腕を指した。今はコートで見えないけれど、
「左腕には二筋の斬り傷。あなたもあるでしょ」
 彼はまた頭を掻いた。これは彼の癖だ、困ったときの。
「……いつ見たんですか。怖いなあ」
 そう呟いて、セブンワーズは腕を捲った。手袋を外し、腕に巻かれた包帯を巻き取っていく。肌に浮かび上がるのは、引き攣れた二つ並んだ白い線。
 わたしは目をそらした。
「去年あなたが川で遊んでた時ですよ」
「遊んでた訳じゃ……、そうですか」
 包帯を巻き直しながら彼は言った。笑んでいた。自嘲のような笑みだった。
「知ってたんですね」
 わたしは再び頷いた。
「その文献を読んでから、いろいろ調べました。本ならいくらでも有りますから」
「そうですねえ。ここは調べ物にはうってつけの土地だ」
「はい。探してみたら不老者の目録というものがありまして。不老者というのは結構居るものなんですね。驚きました。そうなる理由というのはわたしには良くわかんなかったけど。それで、呪われ者、という分類にあなたの名がありました」
 彼は黙っている。わたしは続けた。
「それだけじゃなく、他にもあなたの名前を何度か見掛けました。ほとんどが魔法の研究論文でした。……連名のものが、いくつか」
 わたしの視線の先で彼は瞳を閉じた。わたしの言葉を待っている。
「その方たちの名前を見たときにひらめきました。あなたの名前だけじゃ気付けなかった。あなたたちの名には法則がある。セブンワーズ、あなたの名は古い言葉だったんですね。古い言葉で、七つの……」
「七つの言の葉」
 セブンワーズはゆっくりと目を開いた。
「言葉とは魔法においては呪言のこと。他の人の名前はわかりました?」
「ええっと、数字が入ってるのはわかったんですけど……」
 彼は微笑んだ。
「僕たちは全員で七人います。古い言葉で初律、二書、三陣、四供、五香、六踏、そして僕、七言。これは本当の名前ではありません。魔法の七要素から取った名です。僕たちはヴェンディアの魔法学校で一緒でした。あるとき僕らは呪われた。呪いは僕らに不老と強い魔力を与えました」
 わたしは首を傾げた。魔力というのは魔法使いにとって必要不可欠なもの。強ければ強いほど良いのではないのか。
「それって呪いなんですか」
 セブンワーズは首肯した。
「たしかに、祝福に見えなくもない。でも僕らにとってはまごうことなき呪いです。強すぎる魔力で僕たちの存在は変質してしまった。魔法そのもののようになってしまったんです。その名前すら、声に出すだけで火花が散った。あれは怖いですよ、名を呼ばれたら小爆発が起きるんですから」
 ふふっ、と彼は遠いところを見て笑った。
「不老もそんなに嬉しかないですよ。こういうのは年食った人の望みでしょ。それにしたって何がいいんだか、知ってる人は皆逝ってしまうのに、自分たちだけ生きてるなんて。変わらぬ身で、名さえも変えて」
 ふ、と彼は息を漏らした。
「気味悪いでしょ」
「そんなこと」
「本当に?」
「わたしは……っ」
 セブンワーズは言い返そうとしたわたしの口を押さえた。
「何も言わないで下さい。君は優しいから、どっちにしたって言うことは同じだ」
 きつい視線で見つめられてわたしは思わず黙った。
「ありがとう。知っていたのに、君はなにも変わらなかった」
 ありがとう、と彼はもう一度呟いた。目をそらして伸びをする。
「さて、そろそろ行きますか」
「呪いを解きに行くんですか?」
 セブンワーズはちょっと笑った。
「上手くいけば、普通の男になって帰ってきますよ」
 わたしは口を開きかけてうつむいた。上手くいかなかったらどうなるの。そう聞きたかったけれど、彼の目がそれを拒否していた。
 立て掛けてあった箒を手に取って、セブンワーズは振り返った。
「あそうだ、夢解きでしたっけ」
 忘れるところだったと、彼は頭を掻いた。わたしも忘れかけていた。
「そうですねえ、吉夢です。ハゲのおっさんは吉兆ですよ。なにか良い事があるでしょうね」
「マジですか」
「マジですよ。それにしても君も変な夢見ますね」
 ほっといて下さい、とわたしはそっぽを向いた。目の端に彼の横顔が映る。彼はやっぱり微笑して、微笑してはいたけれど、何かに耐えるような表情でもあった。
「それじゃ行きますから。日が暮れてしまう。ああ、僕のツケで飲食していいですからね。よく行くお店には僕の口座に請求するように言ってありますから」
「いいんですか」
 例の皮肉っぽい笑みを浮かべてセブンワーズは答えた。
「君の今後十年分の生活費払っても、僕の財産はちっとも減りませんよ」
 よいせ、と年寄りのような声を出して彼は大きな鞄を持ち上げた。
 ヴェンディアは遠い。馬車でも二週間かかる。箒だったらどのくらいで着くんだろうか。
 ひゅう、と吹いた風が木の葉を巻き上げた。二人の間を吹き抜ける。
 急に不安に駆られた。
「ちょっと待って」
 呼び止めると、わたしは首からマフラーを外して彼の首にかけた。
「さっき聞かれたことですが、それはまあ、得体が知れないというかなんというか、……怖いっていうか、そういうのはありますけど、でも」
 そのまま少し力をかけて魔法使いを下向かせた。
「あなたのこと嫌いになったわけじゃないですよ」
 彼は目を丸くした。頬が熱くなるのを感じた。わたしは笑えていただろうか。
 マフラーを適当に巻きつけて、一歩下がった。
「寒いですから、これは貸します」
 マフラーとわたしに交互に視線を移す彼を見て、こんどこそちゃんと笑顔を作れた。うろたえる様子を二度も目撃するなんて今日はつくづく貴重な日だ。
 ねえセブンワーズ、これは貸しです。わたしのお気に入りのマフラーなんですよ。だから。
「帰ってきて」
 風はだんだん強くなる。彼はやっとあかるく笑った。
「努力します」
 身を返して箒に飛び乗った。柔らかな風が彼を包んで押し上げる。
 風読み台の手摺をふわりと飛び越えて、魔法使いは空中に踊り出た。
 白のマフラーがひらひらと風に舞う。一度だけ振り向いてセブンワーズは高みを目指す。彼の姿が小さな点になって消えるまで、わたしは手摺から身を乗り出していた。

 三月待つ。三月で帰ってこなければ四月待つ。四月で帰ってこなければ五月待つ。卒業するまでは、この街を離れるまで待ち続けるから。
「だから帰ってきてくださいよ、セブンワーズ」

 そうじゃなくては気分よく食事もできやいたしません。




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